make clean; make

AI 臭のする文章でも別にいいときもある

最近は仕事でもプライベートでも、AI に文章を書かせることが本当に多くなってきた。コードだけじゃなく、設計ドキュメントやらテストレポートやらも書かせている。issue すら自分ではちょこっとプロンプトする程度で、あとは AI に必要なことを調べてもらって書いてもらうことがほとんどになってきた。

AI Slop 問題

AI に文章を書いてもらうのはいいんだけど、これがしばしば本当に読みにくい。いわゆる「AI Slop」とかって呼ばれるやつで、無駄に冗長だったり、イヤにこちらを立ててきたりする (おべっかとも呼ばれる)。メリハリがなくて目が滑る。それでいて量は膨大で、しかもそれは数十秒で生成されたものだったりする。これを熱心に読めって言うんですか。結構これがね、時間的にも眼精疲労的にも集中力的にも心情的にも、それに浸り続けるのはツラかったりする。割とホンマに吐きそうになる。

そもそも誰が書くかって

人間が書くことに価値があるもの (自分にとってはそのへんの人が書いたブログなんかがそう) は、多少文章が汚かろうが、AI に生成させるんじゃなくて人間が書いたほうが読む気が起こる。エンターテイメント的な要素があるものは人間が書いたほうがいいのかもしれない。

で、逆にそこまで人が書かなくてもいいやっていう分野の文書もあると思っている。ソフトウェアの設計ドキュメントなんかはこれにあたるんじゃないかなーと思わんでもない。特に使い捨ての、AI へのインプットに使ってあとは一生顧みられない類のドキュメントは、そこまで時間をかけて書く必要もなく、まあ言っていることが分かればいいくらいのもので十分用をなすんじゃないかなと思う。

脱臭するべきか?

世の中では AI 臭さを脱臭しようと試みる勢力がある。頑張れこの勢力。めっちゃ応援してる。同じ AI Slop ならせめてもうちっと読みやすい文書を世の中に溢れさせてほしいよ。

自分も脱臭をしようと色々 Skill を書いてみたり CLAUDE.md を書いてみたり、評判のいいテクニカルライティングの Skill を入れてみたりもしたが、どうもいまひとつ「これじゃない」だった。大抵この手のものは「◯◯っていう書き方を禁止する」っていうノリのルールの詰め合わせになってしまっていて、それだとあまりにも焼け石に水というか、すべての日本語表現をカバーすることなんてできないので、このアプローチでは一生満足のいく状態にはならないと感じている。いつかモデルの性能がもっとぐーんと上がって、誰にとってもまあまあ気持ちのよい日本語が生成される日がくるのかもしれない、が、それはまだ数年単位でかかるんじゃないかなー。いや、進化は早いからもっとサクッといい感じになるのかもしれんけど。

なので、自分は「あんまり脱臭に力を入れなくていいんじゃない」って思ったりもしている。AI は AI らしくしていろ。もっとクセを出して走れ……。

冗長さだけはどうにかなるかも

同じ AI Slop でも、冗長さについては脱臭に比べれば対処のしようがある。「内容に重複がないようにしてほしい」とか、「後工程にて確認すればいいものは省いちゃって」みたいなことを別のエージェントにレビューさせると結構いい感じに削ってくれる。指示語を禁止する、とかだけでもかなり脳みそフレンドリーな文章ができあがる気がする。

言いたいこと

  • 人間が書いたほうがいいものは人間が時間をかけて書けばいいと思うよ
  • 内輪だけで使うとかで、とりあえず内容が合ってさえいればいいものは、もはや AI 臭がしててもいいと割り切る
    • 脱臭の努力は果てしない営みで、割に合わない感覚がある
    • ただ、冗長さは読み手の時間を奪ってしまうので、短くするよう努める (AI にやらせる)
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